子どものいないアラフォー女が子なしを選択した時期と理由【DINKs】

みお

こんにちは、みおです。
今回は、私が子なしを選択した時期と理由についてお話します。

近年、子なし女性の割合は上昇傾向にあります。しかし、未だ少数派であることに変わりはありません。政治家が子なし女性を「生産性がない」と表現するなど、子なしを悪とする風潮や、批判をする人が一定数いるのも事実です。

そのため、未婚・既婚にかかわらず、子なし女性が肩身の狭い思いをするケースは少なくないでしょう。身近に子どもを持つ女性が多いならなおさら……。

そこでこの記事では、40歳の子なし兼業主婦(DINKs)の私が、子どもを産まない選択をした時期と、その理由をお話します。同じく子どもがいない・作らない選択をしたあなたと、共感できる部分があれば嬉しいです。

「選択子なしなら1人で生きていく選択肢もあったのでは?」とも考えています↓

目次

離婚を経験

私が今の夫と入籍したのはおよそ2年前、38歳の時でした。しかしそれ以前にも婚姻歴があり、今回は再婚という形になります。そのため、まずは元夫との離婚までの経緯やその後の生活についてご紹介します。

1度目の結婚生活

1度目の結婚生活は29歳からスタートし、32歳で終止符を打ちました。離婚理由はよくある価値観の違いです。今思うと、毎日遅くまで仕事をしていた元夫に対し、私がいろいろと求めすぎていたのかもしれません。

失った赤ちゃん

元夫と結婚生活を送る中で、私は一度、妊娠した経験があります。しかしお腹の赤ちゃんは数週間で空に戻ってしまい、その後は子どもを授かることがありませんでした。

当時は私もフルタイムで働いていましたし、元夫も仕事は多忙。すれ違い生活のおかげで私の気持ちはスッカリ冷え切ってしまい、およそ3年の結婚生活は幕を閉じました。

バツイチにかかる重圧

離婚後は、6年ほど1人暮らしをしていました。その6年の間、返答に困る質問や聞きたくない言葉を投げかけられた経験も多数あります。

「再婚しないの?」「子ども産むなら早いほうがいいよ」「ずっと1人ってわけにはいかないでしょ」など。実母を筆頭に、一部の友人からの重圧は耐えがたいものがありました。

契約打ち切り

そんな折、勤務先で『非正規社員切り』が行われました。全国に営業所を構える企業で、パート社員として働いていた私。ボーナスは出ませんが時給は高く、10年以上勤めた愛着のある会社でした。

しかし、各営業所で次々と非正規社員切りが行われ、私も漏れなく契約を打ち切られたのです。幸い次の勤務先はすぐに見つかりましたが、収入は激減。1人暮らしではまともな貯蓄が出来ない状況に陥り、焦りました。

実家には帰らない

当時1人暮らしをしていた住まいから実家までは、自転車で15分ほどという距離でした。しかし、どんなに生活が苦しくても、私は実家に戻るつもりはありませんでした。

理由は実母です。実母は、子どもに対し異常なまでの依存心をみせる、いわゆる毒親。母のもとに戻れば、「再婚しろ」「子どもを産め」の圧力はいっそう増すと考えたのです。

我が家の両親はとても不仲で、今では口もききません。決して幸せな結婚生活には見えないのに、それでも再婚を勧める母への不快感もぬぐえませんでした。

母についてはこちらの記事でも触れています↓

婚活を決意

勤務先の契約を打ち切られるまでは、1人でも生きていかれる程度の収入がありました。しかし、非正規社員切りで状況は一変。1人暮らしの心細さや将来の不安に負け、38歳を目前にして再婚のための婚活を決意したのです。

スマホのマッチングアプリを利用し、相手を探しました。そしてゲーム好きという共通点から今の夫とめぐり合い、再婚。今に至ります。

子なしを選択した理由

子どもは授かりものです。望んだところで妊娠しない可能性も十分に考えられます。しかし再婚を決めた私は、子どもができなかったのではなく最初から子どもを望まないという選択をしました。

この選択は婚活を決意した時点でほぼ固まっていたため、再婚相手の条件には『子どもを望まない人』という項目を含めています。

途切れた子どもへの意欲

私は子どもが好きです。そのため、今でも子どもがいない寂しさを感じることはあります。しかし、離婚をした時点で「自分は子どものいない人生を送るんだ」と腹をくくっていたため、子どもへの前向きな考えは途切れてしまいました

また、1度目の結婚生活で出産を経験できなかったことも、意欲が途切れた理由のひとつです。「結婚したら子どもを産むもの」なんて当然のように思っていたので、それが叶わなかったのは大きな要因と言えるでしょう。「次こそは産んでやる!」と、闘志を燃やすほどの意欲も消え失せていました。

子どもの重み

32歳から6年間も1人暮らしを続け、悠々自適な生活を送っていた私は、子どもを産み育てるというミッションを負担に感じるようになりました。自由な時間もなくなり、子どもに縛られる生活を苦痛と捉えるようになったのです。また、ママ友との付き合いやPTA、学校行事など、消極的で人見知りな自分に務まる自信もありませんでした。

1人暮らしが長くなればなるほど、「子どもが欲しい」という気持ちより、「面倒なことは避けたい」「好きなことをして自由に生きていたい」という気持ちが膨らんでいったのです。

葛藤

それでも『女性は結婚し、子どもを産み育てるもの』という一般的な思考がリミッターとなり、「100%子どもはいらない」と断言できる状態でもありませんでした。

子どものいる複数の友人と会話をすると、疎外感を抱くこともありました。また、他人の赤ちゃんが幸せの象徴のように見え、自分が不幸のどん底にいるような感覚に陥ることも……。しかし、それでも子どもを欲する決定的な理由や感情が、私にはありませんでした。

周囲の影響

私が「100%子どもはいらない」と言い切れなかった理由は、自分の気持ちではなく周囲の影響が大きいです。

親からの言葉、世間の目、政治家の発言など、子なしを悪とする風潮に引け目を感じていたのでしょう。「子どもはいた方がいいよ」「親も喜ぶよ」「40歳ならまだ産めるよ」そんな風に、子どもを押し付けてくる友人も数名いました。

しかし、「私自身が子どもを欲しているわけではない」「選択的に子どもを産まないことに罪悪感を抱えているだけ」であることは、まぎれもない事実だったのです。

再婚後も悩む

それでも、再婚してしばらくは1人で悶々と悩むこともありました。「本当にこれでいいのか」「後悔しないのか」友人から聞く子どもの話や、近所を駆け回る子どもの姿を見るたび考えていたのも事実です。

再婚当初は「子どもがいてもいいかな」と感じたこともありました。しかし結局、私は今DINKsとして生きています。

悩んだ果ての子なし生活

最終的にハッキリと「子どもはいらない」と思えるようになったのは、ごく最近のことです。理由は複数あり、ひとつは実母からの解放です。

私には弟がおり、すでに1児の父となっています。しかし母は嫁が産んだ孫よりも、実の娘が産んだ孫を期待していました。そのため母の「孫の顔が見たい」という圧力は、最近まで続いていたのです。

「あなたのために言っているの」という言葉で私の考えを変えようとする母。確かに、孫の顔を見せられない罪悪感はありました。しかし再婚後、母にハッキリと「子どもは産まない」と宣言し、15年の戦いがようやく終焉を迎えたのです。

お腹の子を失った傷が癒えない娘に対し、出産を強要し続けた毒親の話はこちら↓

明確にDINKsを宣言できるようになった理由はほかにも、

  • 夫が会社員を辞め、安定した収入が得られなくなった
  • Webライターとして忙しい時間を過ごしている
  • HSPを自覚した
  • 愛猫に対し、血のつながった姪っ子以上の愛おしさを感じるようになった

などがあります。特にHSPを自覚した点は大きく、1人の時間がゼロになり得る子育ては、自分を追い込む可能性が高いと考るようになりました。

さらに、夫が突如会社員を辞めたことで家計が火の車になったため、「勢いで子どもを作らなくてよかった」とも思っています。

子なしを選択した時期と理由まとめ

この記事では、40歳の子なし兼業主婦の私が、子どもを産まない選択をした時期と理由についてご紹介しました。子なし女性への世間の風当りは、決して弱くはありません。しかし、私の人生は私のもの。あなたの人生も、あなたのものです。

子なしだから他人に迷惑をかけている、なんてことはありません。自信をもって、自分の人生を精一杯楽しみましょうね♪

最後までお読みいただきありがとうございました!
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